Kenneth Branagh
PROFILE




Kenneth Charles Branagh
(Kennethのケルト語源は「端正な容貌」
なのだそうです。Thanks to Syara様)
1960年12月10日(sat)、
 ウィリアム・ブラナーとフランシス(・ハーパー)の次男として北アイルランド・ベルファストに生れる。
 兄弟は5歳年上の兄・ビルと10歳下のジョイスの3人兄妹。
身長:5ft9.5in(176.5p)
髪:ブロンド(?)
瞳:ブルー


address:

The Kenneth Branagh Company
Twickenham Studios
The Barons
Twickenham TW1 2AW

UK
    ―俳優達はみな現に私の前にいた、生身で。
       それをあらわす言葉は一つしかなかった。魔術だ。―




生後間もなくダウンヴュー・バンガローズからマウントコリアー・ストリートに転居。

7・8歳の頃バート・ランカスターの映画 『終身犯』 ・グローヴ劇場のジョーゼフ・トメルティ主演 『クリスマス・キャロル』 と兄・ビルがグローヴ校の学期末コンサートで演じたヨーク・ストリートの黒塗りの靴磨き少年(?(^^; )に衝撃を受け、芸術に対する感心が芽生える。

9歳の時(1970年春)アルスター紛争を逃れ家族と共に英国・レディングに移住。

ホワイトナイツ・カウンティ小学校で幼稚園の生徒向けクリスマス上演劇 『魔法のまわり道』 のドゥーガル(犬?(^^; )役で舞台デビュー。
数週間後には収穫感謝祭用の自作寓話の五分芝居で作家デビュー。

1972年バークリー・アヴェニューへ再び転居、ミードウェイ中学校に入学、ラグビーとフットボールのキャプテンを務めるが環境に馴染めず熱心な読書家且つ、ファンレター魔に転身。

13歳の時 『レディング・イーヴニング・ポスト』 の書評欄に大人の筆者による児童書の書評を見つけ “我々は子供による子供の為の書評を欲している” と投書、 『子供の本棚』 と言う欄の担当を始める。



       ―僕は俳優になりたいんです―



同年秋、ミードウェイ校上演の 『おお!すばらしい戦争』 (一人4役(^^; )で初めてその素晴らしい仲間意識に目覚め、芝居の世界に夢中になる。

14歳の時、タフネル公園・聖ジョージ劇場の『ロミオとジュリエット』 のマチネーで初めてシェイクスピア劇を見る。

1977年、素人劇団・プログレス劇団のオーディションを受け 『ヴァージニア・ウルフなんかこわくない』 のニック役に選ばれ、ようやく家族にも認められる。
…が、これは彼の若年が崇り実現しなかった模様…。
実際に役を貰ったのは次の出し物 『酔っ払い、あるいは魔物の酒よくたばれ』 のウィリアム・ダウトン役。

この頃テントを背負いヒッチハイクで初めてストラットフォード・アポン・エイヴォンへ行き、シェイクスピア縁の場所や俳優達の行き付けのパブ、劇場を訪ね歩く。



    ―大衆的な芸術の重要さと、それが人生をもっと豊かで
          もっといいものにする力とを私は堅く信じていた―




1979年、ロイアル・アカデミー・オブ・ドラマティック・アート(RADA)に入学。

クラッパムのマンチューリア・ロードに有る俳優、アンガス・マッケイ宅に間借りする。
その後、ウィルズデン・グリーン、イーリングと転居を繰り返す。

1981年、BBCの 『Too Late to Talk To Billy』 でTV初出演。
バンクロフト・ゴールド・メダル受賞、主席でRADAを卒業。

1982年、ロンドン北西部のハールズデンへ転居。
舞台 『アナザー・カントリー』 のジャド役でプロ・デビュー
ウェストエンド劇場協会賞と、プレイズ・アンド・プレイヤーズ誌の新人賞を受賞。

1983年、TV 『Boy in the Bush』 のジャック・グラントの役作りの為乗馬を始める。
自主公演 『The Madness』 でプロとして初プロデュース、 『タイムズ』 『イーヴニング・スタンダード』 で絶賛される。

1984年、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー(RSC)に招かれ最年少で入団、劇団最年少(23歳)で 『ヘンリー五世』 を演じる。
この役作りに際し、初めてチャールズ皇太子と対面、オールスターへ転居する。

更に1985年、『Tell Me Honestly』 で脚本・演出・主演を務めローレンス・オリヴィエ以来の天才俳優の出現と絶賛を浴びる。



    ―(私達は)大衆的な芸術を提供しようとしている。
         貧弱な芸術や浅薄な芸術ではなく、
         ≪芸術的≫な芸術でさえなく、
         精神と感覚をひろげ、
         真に人を楽しませる大衆的な芸術だ。―




1987年 『ハイシーズン』 で映画デビュー。
BBCの 『戦火燃ゆる時(Fortunes of War)』 でエマ・トンプソンと初共演。
4月にはデイヴィッド・パーフィットとルネサンス・シアター・カンパニー(RTC)を旗揚げ、チャールズ皇太子をパトロンに迎え、ジュディ・デンチ、デレク・ジャコビをも演出家デビューさせる。

1989年、RTCの資金調達の為、著書 『私の始まり(Beginning)』 を出版。
映画 『ヘンリー五世』 で監督デビュー、脚本・主演もこなし、アカデミー賞で監督賞・主演男優賞にダブルノミネート、アカデミー賞衣装デザイン賞、ニューヨーク批評家協会新人監督賞、全米映画批評家協会監督賞、フェリックス賞主演男優賞、ヤング・ヨーロピアン・フィルム・オブ・ザ・イヤー、イギリス・アカデミー賞監督賞等受賞、イヴニング・スタンダードのベスト・フィルム・オブ89に選ばれる。
8月ジュディ・デンチとリチャード・ブライアーズの仲人によりエマ・トンプソンと結婚。



    ―覚悟がすべてだ。―



1990年自ら演出した『リア王』『真夏の夜の夢』でワールドツアーを展開
3月にはRTCを率いて初来日、大喝采を浴びる。

1991年、ハリウッドに招かれ、 『愛と死の間で』 を監督・主演、全米興収ナンバー1を記録。

1992年、製作・監督・主演を務めた低予算映画 『ピーターズ・フレンズ』 で欧米でロングランを記録、イヴニング・スタンダードのピーター・セラーズ賞受賞。
リチャード・ブライアーズ、サー・ジョン・ギールグッド主演の短編映画 『Swan Song』 を監督、アカデミー賞短編映画賞ノミネート。

1993年、 『から騒ぎ』 を製作・監督、カンヌ映画祭正式出品作に選ばれる。

1994年、CBE(英帝国勲爵士)受勲を辞退?

1995年、脚本・監督作 『夜にも憂鬱なハムレットたち』 でベネチア国際映画祭金のオゼッラ賞受賞、サンダンス映画祭オープニング作品に招待される。
『オセロ』 で俳優協会助演男優賞ノミネート。
エマ・トンプソンと離婚。



    ―僕が目指したのは古典的要素を打ち破ること。―



1996年、 『ハムレット』 でアカデミー賞脚色賞・音楽賞(ドラマ部門)・衣装デザイン賞・美術賞の4部門ノミネート。

2000年1月16日、シェイクスピア劇への長年の貢献が認められShakespeare Guild よりギールグッド賞受賞。
2月17日、Empire Film Awards で Inspiration Award 受賞。

2001年、ナレーションを務めた 『鬘職人の日記』 でアカデミー賞短編アニメ賞にノミネートされる。
マイケル・カレスニコー監督作 『舞台よりすてきな生活』 でフィラデルフィア・フェスティヴァル・オブ・ワールド・シネマのBest Feature Film・ Best First Filmをダブル受賞、ニューポート国際映画祭ではオープニング作品に選ばれジョー・ジャービス・オーディエンス・チョイス賞、ニューポート映画祭・スチューデント賞をダブル受賞、トロント国際映画祭ではクロージングナイトの上映フィルムに、アヴィニヨン映画祭でもベスト・アメリカン・フィーチャーに選ばれる。
『裸足の1500マイル』 でニューサウス・ウェールズ・プレミアズ文学賞のコミュニティ・リレーションズ・コミッション賞・脚本賞をダブル受賞
9月2日、シェークスピアの作品を一般の観客に広めるのに貢献したとして、バーミンガム大学から文学博士の名誉学位を授与される。
9月、Naxos のオーディオブック 『Richard V』 で インディペンデント紙の 2001年オーディオブック賞 の最優秀ドラマ賞を受賞。
11/4、HBOの 『謀議』 で第53回エミー賞ミニシリーズ部門の主演男優賞を受賞。
11月、Shakespeare Birthplace Trustが主催するAdopt a Treasureのパトロン1号に登録される。

2002年3月13日、シェフィールド Crucible Theaterにて『 Richard V 』で十年ぶりの舞台復帰。
11月、演出を務める舞台『The Play What I Wrote』で第26回ローレンス・オリヴィエ賞Best New Comedyを受賞。

2003年2月12日、『ハリー・ポッターと秘密の部屋』ロックハートでロンドン映画批評家協会助演男優賞受賞。
5月24日、Lindsay Brunnockと再婚。
8月、『Listening』でRhode Island 国際映画祭のBEST DIRECTOR-First Prizeを受賞。

2006年11月3日、セビリア映画祭にてシティ・オブ・ミュージック賞を受賞。

2012年6月、ナイトを受勲。
7月、ロンドンオリンピックのオープニングセレモニーで詩を朗読。